【日本史の転換点?】平氏が権力を独占し始めた?元木泰雄「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」感想

2021年6月13日

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こんにちは〜!

カワタツ( @TKkidd_mbht )です!

🤡「どーもピエロです!」

今日は本のレビューです。

🤡「その様だな。

今日はどんな本の書評をするの?」

「保元・平治の乱

平清盛勝利への道」。

🤡「おわ。

難しそう。

保元の乱はピンと来ないけど、

平治の乱では、

源頼朝・義経のお父さん、

源義朝が平清盛に負けて、

逃げたんだよね?」

一般的に知られているのは、

それ位かなあ。

しかし保元・平治の乱共に、

日本の歴史の転換期

だったんだよね。

🤡「ほう。

まあ歴史の教科書でも、

教わるもんな」

治承・寿永の内乱、

いわゆる「源平合戦」が好きなんだが、

その流れで平安・鎌倉時代の本を、

読んでました。

そして色々な本に、

保元・平治の乱が出てきます。

そこで保元・平治の乱について、

詳しく知りたくなりました。

🤡「元木泰雄さんって、」

以前紹介した、

『源頼朝』を書いた人だよね?」

そう、保元・平治の乱に、

関する本を探していると、

元木泰雄さんが書いてる本、

つまりはこの、

「保元・平治の乱 

平清盛勝利への道」があった。

🤡「それで、この本に決めた

というわけか」

その通りだね。

保元・平治の乱は、

源頼朝・義経や

源氏や平氏、源平合戦、

鎌倉幕府を理解する上で、

詳しく知っておくと、

面白いかもしれません。

🤡「この記事では、

どんな内容で、この本を紹介するの?」

保元の乱・平治の乱について、

簡単に説明し、

さらに、

2つの乱で、

歴史がどう変わったか?

を説明していくよ!

保元の乱とは?

🤡「保元の乱って、

どんな乱なのか知らないから、

簡単に説明してくれないかな?」

そうだね。

簡単にでも説明しないと、

この本にも興味を持ってくれなさそう。

じゃあ、4行で言ってしまうと、

鳥羽院が亡くなった後、

天皇家の跡継ぎ争いが起きた。

それにより、

天皇家・摂関家・源氏・平氏が、

それぞれ2つの陣営に分かれ争った。

🤡「え?

なかなか規模が大きそうな乱。

両陣営の主力を教えて欲しいな?」

まずは後白河天皇の陣営から。

藤原忠通(ただみち)、

源義朝、平清盛など。

🤡「義朝・清盛が同じチーム

だったんだな」

一方、崇徳上皇チームが、

藤原頼長、源為義、平忠正など」

🤡「あれ?

何かの本で読んだ気がするけど、

源為義って、

源義朝の父

じゃなかったっけ?」

その通り、義朝と為義の河内源氏は、

保元の乱で二つに別れて戦った。

🤡「なぜ親子で戦わなければ、

ならなかったの?」

その経緯は、

「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」

に書いてあるよ😙

🤡「うわ〜教えてくれないんだ!?」

天皇家も摂関家も平氏も、

みんな兄弟など近親で争ったんだ。

「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」

で詳しく知って欲しいです。

保元の乱の後、何が変わった?

🤡「あと、これだけ教えてくれ。

保元の乱で歴史上の何が変わったの?」

摂関家は知ってるね?

🤡「ああ、

藤原氏で特に力を持った、

摂政や関白を出してきた、

血筋の家

のことだよね?」

そう、その摂関家が、

氏長者(摂関家の最高権力者)の跡継ぎを、

指名できる権利を失った。

🤡「という事は?」

それで摂関政治、

さらには摂政・関白を必要とする、

院政が終わったんだ。

🤡「それで時代が変わった

というわけか。

もっと詳しく教えてくれない?」

それなら、

「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」

を読んだ方が良いよ😘

🤡「絵文字が腹たつ〜!!」

平治の乱とは?

🤡「さて保元の乱については、

少し分かった。

じゃあ平治の乱は?」

平治の乱は保元の乱から、

わずか3年後の話。

🤡「すぐ後だね」

後白河天皇の元で、

政治の実権を握った、

信西(しんぜい)

という男がいた。

🤡「名前的に、僧?」

出家してるんだけど、

抜群の学才を活かして、

政治の実権を握ったんだ。

その信西に対し、

信西が政治の舵を取るのを、

面白くないと思っていた、

藤原信頼、

さらに、

二条天皇の側近、

藤原経宗(つねむね)、

成親(なりちか)、

惟方(これかた)の3人と、

信頼と連携していた源義朝が、

平清盛が熊野詣でに行ってる隙に、

クーデターを起こし信西を、

追い落として失脚させた。

🤡「うわっ卑怯!!」

しかし清盛が熊野から、

猛スピードで引き返してきた。

信頼・義朝は立場が逆転。

伊賀・伊勢と京の近辺から、

兵を調達できる清盛に対し、

義朝は東国が基板な上に、

隠密で動かないといけなかった。

そのため、

義朝側は百騎程度の少人数。

🤡「うわっ、

クーデターを起こした割には少なっ!」

元々、義朝は以前から提携していた、

信頼の助けをせざるを得ず、

清盛と戦う事になるなんて、

夢にも思ってなかった様だった。

🤡「あまり深く考えてなかったんだね」

経宗・惟方らが清盛側に付いた事もあり、

合戦の末、信頼・義朝は敗北。

🤡「それで義朝は、

東国に逃げ延びる途中で、

尾張で殺されたわけか」

そう、信頼も斬首された。

ちなみに貴族が処刑されるのは、

300年ぶりの事だったらしい。

平治の乱の後、何が変わった?

🤡「保元の乱では、

摂関政治や院政が終わった事が分かった。

平治の乱では歴史の何が変わったの?」

それはズバリ、

平清盛が公卿目前にまで、

出世した事

だ。

🤡「ほう」

京の近い伊賀・伊勢で、

盤石の基盤を持っていて、

白河院の隠し子とも言われる清盛。

🤡「え?

じゃあ清盛は天皇になれるって事?」

場合によっては、

それもあり得たかもね。

とりあえず清盛は、

その高貴な血筋もあり、

高い位階が贈られた。

一方、河内源氏の党首になったばかりで、

遠い東国に領地を持つ源義朝。

🤡「うわあ、

清盛と義朝じゃ、

かなり差があるんだね」

そう。

元々、両者には、

かなり力の差があったけど、

保元の乱で清盛が後白河天皇の、

側に付いた事で、

かなり高い位階に上がった。

🤡「武力があるから、

味方に付くだけで喜んでもらえるんだ」

そして平治の乱でも清盛は大活躍し、

義朝は逃亡の末、殺された。

🤡「力の差はあるけど、

ライバルがいなくなったわけだ」

そして平清盛は公卿まで昇進し、

保元・平治の乱で、

ライバルの京武者がほぼ全滅した事により、

地方反乱の鎮圧、

京の治安維持、

荘園の管理という役割は、

清盛以下の平氏一門が、

全て引き受ける事になった。

武士の棟梁になったわけだ。

🤡「それでタイトルが、

『平清盛 勝利への道』なのか」

まとめ

  • 保元の乱では、鳥羽院の死後、天皇の後継の権力争いが起こった。天皇家・摂関家・源氏・平氏それぞれが2つに別れて戦った。
  • 摂関家が氏長者の跡継ぎを自分で指名できなくなり、力を失った。それにより摂関政治・院政が終わった。
  • 平治の乱では藤原信頼らが信西を追い落とすクーデターを起こしたが、平清盛が熊野から猛スピードで帰ってきた事で失敗。信頼は処刑され、連携してた義朝も殺された。
  • 保元・平治の乱での活躍により清盛が大出世。ライバルの京武者が、ほぼ全滅し、武士の仕事を平氏一門が一手に引き受け、権力を得た。

🤡「よく分かったけど、

何だか長くなったね?

こんなに詳しく本の中身を、

解説していいの?」

良いんだ。

「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」

の中身はもっと詳しく書いてあって、

もっと人間関係とか、

複雑でややこしいんだ😅

🤡「なるほどね。

この記事を書いた事で、

君も保元・平治の乱について、

しっかり理解した事を、

示せたようだな」

そうだね。

よくまとめられた。

この記事で少しでも、

保元・平治の乱に興味を持ってくれたら、

嬉しいです。

さて今日はこの辺にしときます。

🤡「それでは、

さようなり〜!」

おっと!

昔SMAPの中居くんが、

良く言ってた挨拶だ!

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!