【日本史の転換点?】平氏が権力を独占し始めた?元木泰雄「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」感想
こんにちは〜!
カワタツ( @TKkidd_mbht )です!
🤡「どーもピエロです!」
今日は本のレビューです。
🤡「その様だな。
今日はどんな本の書評をするの?」
「保元・平治の乱
平清盛勝利への道」。
🤡「おわ。
難しそう。
保元の乱はピンと来ないけど、
平治の乱では、
源頼朝・義経のお父さん、
源義朝が平清盛に負けて、
逃げたんだよね?」
一般的に知られているのは、
それ位かなあ。
しかし保元・平治の乱共に、
日本の歴史の転換期
だったんだよね。
🤡「ほう。
まあ歴史の教科書でも、
教わるもんな」
治承・寿永の内乱、
いわゆる「源平合戦」が好きなんだが、
その流れで平安・鎌倉時代の本を、
読んでました。
そして色々な本に、
保元・平治の乱が出てきます。
そこで保元・平治の乱について、
詳しく知りたくなりました。
🤡「元木泰雄さんって、」
以前紹介した、
『源頼朝』を書いた人だよね?」
そう、保元・平治の乱に、
関する本を探していると、
元木泰雄さんが書いてる本、
つまりはこの、
「保元・平治の乱
平清盛勝利への道」があった。
🤡「それで、この本に決めた
というわけか」
その通りだね。
保元・平治の乱は、
源頼朝・義経や
源氏や平氏、源平合戦、
鎌倉幕府を理解する上で、
詳しく知っておくと、
面白いかもしれません。
🤡「この記事では、
どんな内容で、この本を紹介するの?」
保元の乱・平治の乱について、
簡単に説明し、
さらに、
2つの乱で、
歴史がどう変わったか?
を説明していくよ!
目次
保元の乱とは?
🤡「保元の乱って、
どんな乱なのか知らないから、
簡単に説明してくれないかな?」
そうだね。
簡単にでも説明しないと、
この本にも興味を持ってくれなさそう。
じゃあ、4行で言ってしまうと、
鳥羽院が亡くなった後、
天皇家の跡継ぎ争いが起きた。
それにより、
天皇家・摂関家・源氏・平氏が、
それぞれ2つの陣営に分かれ争った。
🤡「え?
なかなか規模が大きそうな乱。
両陣営の主力を教えて欲しいな?」
まずは後白河天皇の陣営から。
藤原忠通(ただみち)、
源義朝、平清盛など。
🤡「義朝・清盛が同じチーム
だったんだな」
一方、崇徳上皇チームが、
藤原頼長、源為義、平忠正など」
🤡「あれ?
何かの本で読んだ気がするけど、
源為義って、
源義朝の父
じゃなかったっけ?」
その通り、義朝と為義の河内源氏は、
保元の乱で二つに別れて戦った。
🤡「なぜ親子で戦わなければ、
ならなかったの?」
その経緯は、
「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」
に書いてあるよ😙
🤡「うわ〜教えてくれないんだ!?」
天皇家も摂関家も平氏も、
みんな兄弟など近親で争ったんだ。
「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」
で詳しく知って欲しいです。
保元の乱の後、何が変わった?
🤡「あと、これだけ教えてくれ。
保元の乱で歴史上の何が変わったの?」
摂関家は知ってるね?
🤡「ああ、
藤原氏で特に力を持った、
摂政や関白を出してきた、
血筋の家
のことだよね?」
そう、その摂関家が、
氏長者(摂関家の最高権力者)の跡継ぎを、
指名できる権利を失った。
🤡「という事は?」
それで摂関政治、
さらには摂政・関白を必要とする、
院政が終わったんだ。
🤡「それで時代が変わった
というわけか。
もっと詳しく教えてくれない?」
それなら、
「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」
を読んだ方が良いよ😘
🤡「絵文字が腹たつ〜!!」
平治の乱とは?
🤡「さて保元の乱については、
少し分かった。
じゃあ平治の乱は?」
平治の乱は保元の乱から、
わずか3年後の話。
🤡「すぐ後だね」
後白河天皇の元で、
政治の実権を握った、
信西(しんぜい)
という男がいた。
🤡「名前的に、僧?」
出家してるんだけど、
抜群の学才を活かして、
政治の実権を握ったんだ。
その信西に対し、
信西が政治の舵を取るのを、
面白くないと思っていた、
藤原信頼、
さらに、
二条天皇の側近、
藤原経宗(つねむね)、
成親(なりちか)、
惟方(これかた)の3人と、
信頼と連携していた源義朝が、
平清盛が熊野詣でに行ってる隙に、
クーデターを起こし信西を、
追い落として失脚させた。
🤡「うわっ卑怯!!」
しかし清盛が熊野から、
猛スピードで引き返してきた。
信頼・義朝は立場が逆転。
伊賀・伊勢と京の近辺から、
兵を調達できる清盛に対し、
義朝は東国が基板な上に、
隠密で動かないといけなかった。
そのため、
義朝側は百騎程度の少人数。
🤡「うわっ、
クーデターを起こした割には少なっ!」
元々、義朝は以前から提携していた、
信頼の助けをせざるを得ず、
清盛と戦う事になるなんて、
夢にも思ってなかった様だった。
🤡「あまり深く考えてなかったんだね」
経宗・惟方らが清盛側に付いた事もあり、
合戦の末、信頼・義朝は敗北。
🤡「それで義朝は、
東国に逃げ延びる途中で、
尾張で殺されたわけか」
そう、信頼も斬首された。
ちなみに貴族が処刑されるのは、
300年ぶりの事だったらしい。
平治の乱の後、何が変わった?
🤡「保元の乱では、
摂関政治や院政が終わった事が分かった。
平治の乱では歴史の何が変わったの?」
それはズバリ、
平清盛が公卿目前にまで、
出世した事
だ。
🤡「ほう」
京の近い伊賀・伊勢で、
盤石の基盤を持っていて、
白河院の隠し子とも言われる清盛。
🤡「え?
じゃあ清盛は天皇になれるって事?」
場合によっては、
それもあり得たかもね。
とりあえず清盛は、
その高貴な血筋もあり、
高い位階が贈られた。
一方、河内源氏の党首になったばかりで、
遠い東国に領地を持つ源義朝。
🤡「うわあ、
清盛と義朝じゃ、
かなり差があるんだね」
そう。
元々、両者には、
かなり力の差があったけど、
保元の乱で清盛が後白河天皇の、
側に付いた事で、
かなり高い位階に上がった。
🤡「武力があるから、
味方に付くだけで喜んでもらえるんだ」
そして平治の乱でも清盛は大活躍し、
義朝は逃亡の末、殺された。
🤡「力の差はあるけど、
ライバルがいなくなったわけだ」
そして平清盛は公卿まで昇進し、
保元・平治の乱で、
ライバルの京武者がほぼ全滅した事により、
地方反乱の鎮圧、
京の治安維持、
荘園の管理という役割は、
清盛以下の平氏一門が、
全て引き受ける事になった。
武士の棟梁になったわけだ。
🤡「それでタイトルが、
『平清盛 勝利への道』なのか」
まとめ
- 保元の乱では、鳥羽院の死後、天皇の後継の権力争いが起こった。天皇家・摂関家・源氏・平氏それぞれが2つに別れて戦った。
- 摂関家が氏長者の跡継ぎを自分で指名できなくなり、力を失った。それにより摂関政治・院政が終わった。
- 平治の乱では藤原信頼らが信西を追い落とすクーデターを起こしたが、平清盛が熊野から猛スピードで帰ってきた事で失敗。信頼は処刑され、連携してた義朝も殺された。
- 保元・平治の乱での活躍により清盛が大出世。ライバルの京武者が、ほぼ全滅し、武士の仕事を平氏一門が一手に引き受け、権力を得た。
🤡「よく分かったけど、
何だか長くなったね?
こんなに詳しく本の中身を、
解説していいの?」
良いんだ。
「保元・平治の乱 平清盛勝利への道」
の中身はもっと詳しく書いてあって、
もっと人間関係とか、
複雑でややこしいんだ😅
🤡「なるほどね。
この記事を書いた事で、
君も保元・平治の乱について、
しっかり理解した事を、
示せたようだな」
そうだね。
よくまとめられた。
この記事で少しでも、
保元・平治の乱に興味を持ってくれたら、
嬉しいです。
さて今日はこの辺にしときます。
🤡「それでは、
さようなり〜!」
おっと!
昔SMAPの中居くんが、
良く言ってた挨拶だ!
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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