【第二次川中島の戦いの経緯は?】信玄「善光寺ほしい!」謙信「ダメ!」今川義元「仲良くして!」

2022年6月28日

広告

こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

川中島の戦い

と言えば、

武田信玄と上杉謙信が、

戦った合戦

として有名ですよね!

🤡「ファンも多いよね〜」

少し前に、

第一次川中島の戦いについて、

記事を書きました!

🤡「第一次の戦いについて知ったら、

第二次の戦い

も知りたいな!」

そうだよね!

というわけで今日は、

第二次川中島の戦い

について簡単に説明したいと思います!

平山優先生の、

「図説武田信玄」を参考に、

書いていきます!

晴信「善光寺が欲しい!」景虎「ダメでーす!」

🤡「第二次川中島の戦いって、

どんな感じで起こったの?」

まず武田晴信(信玄)は、

長野市・善光寺

善光寺を自分の物にしたい!

と思ってたんだ。

🤡「善光寺って、

今でも結構広いもんね。

昔はもっと広くて、

力を持ってたのかな?」

そして信玄は善光寺の別当、

栗田永寿(えいじゅ)を調略し、

味方にした。

これは長尾景虎(上杉謙信)には、

重大な事態!

🤡「なんで?」

栗田永寿は、

村上義清とかと同じで、

景虎に支援を求め、

武田氏に対抗してたんだよ。

🤡「それなのに栗田は、

武田に寝返っちゃったのか!

調略といっても、

脅迫みたいな感じだったのかな?」

事態を重く見た景虎は、

善光寺に出陣。

栗田永寿は旭山城に籠城し、

晴信に支援を求めた。

上田城の火縄銃

晴信は弓800張と、

鉄砲300挺を携行する、

足軽3000人を援軍として送った。

🤡「おっ!

この頃すでに武田軍は、

鉄砲を使ってたんだね!」

ここで第二次川中島の合戦の、

火ぶたが切られました!

というわけで、

善光寺を自分のものにしたい武田晴信は、

善光寺の別当・栗田永寿を調略し、

味方にした!

すると長尾景虎が攻めてきて、

栗田永寿は旭山城に籠城。

栗田は晴信に助けを求め、

晴信は弓と鉄砲の精鋭の援軍を送った。

こうして第二次川中島の戦いの、

火ぶたが切られました!

景虎が旭山城を築城!両軍は300日近い睨み合いに!

晴信は大塚(長野市)の大堀館に陣を置き、

今川義元の援軍とともに、

軍勢を犀川(さいかわ)沿いに展開させ、

長尾景虎と対峙。

🤡「川中島の戦いでは、

『対峙』(たいじ)って言葉を、

よく使うよね」

睨み合いが多かったよね😅

そして、

景虎にとって、

前面に武田軍、

側面に旭山城と、

両方の相手をするのは困難。

そのため、

裾花川(すそばながわ)の対岸に、

旭山城に対抗する城、

葛山城を築いた。

🤡「村上義清の本拠地だった、

葛尾城と紛らわしいね」

僕も前の記事で間違えた😅

とにかく景虎が旭山城を作った事で、

武田軍もうかつに手出しができなくなり、

戦線は膠着。

🤡「また睨み合いか〜」

睨み合いが始まって、

3ヶ月後に両軍が衝突。

🤡「おっ!

戦ったか!

どんな感じ?」

残念ながら、

この時の事は資料に残ってないらしい😅

🤡「残念!」

ただ両軍から感状が発給されたらしいから、

それなりに激しい戦いだったのかな?

その後は睨み合いが200日も続き、

両軍ともに士気の低下に、

苦しんだらしいです😅

🤡「200日も何もしないのは、

兵にとっても辛いよね💦」

景虎の陣では兵のケンカが絶えず、

勝手に越後に帰る兵もいたらしいよ😅

🤡「うわ〜」

というわけで、

長尾景虎は旭山城に対抗して、

葛山城を対岸に築いた。

そのせいで両軍は200日ほど、

にらみ合いの状態に👁💥👁

一度衝突はあったものの、

両軍は長い睨み合いで、

士気の低下に苦しんだ。

今川義元の仲裁で長尾有利の条件で和睦!

長期のにらみ合いと、

士気の低下によるものか、

晴信は今川義元の仲裁で、

景虎に和睦を持ちかけたらしい。

🤡「お!

和睦で戦いが終わるのか?」

しかし晴信は、

義元が出してきた和睦の条件が、

晴信の意向に沿わず、

和睦は難航してたらしい。

🤡「あらあら」

そこで晴信の嫡男・義信が、

「父上、今川殿の条件で、

良いじゃないですか!

条件を飲みましょうよ!」

と口出ししたらしい😅

🤡「うわ〜。

義信の奥さんは、

今川義元の娘だったっけ?

それでも、

コレで信玄と義信の、

仲が悪くなるのか💦」

多分そういう事だと思う😅

そして今川氏は、

東美濃と三河の情勢が良くなく、

晴信と共にこっちを平定したかったんだ。

🤡「義元からしたら、

景虎と戦ってる場合じゃ

ないって〜💦

晴信、助けてよ〜!💦

って和睦を取り持ったのかな?」

晴信も景虎と睨み合いしながら、

東美濃で斎藤道三が暴れるのに、

手を焼いてたみたい😅

🤡「晴信も、

景虎と戦ってる場合じゃないな!」

そして大分時間がかかって、

和睦は成立。

条件は、

  • 旭山城の破却。
  • 武田氏に圧迫されて、越後に逃れていた井上・須田・島津氏らの本領復帰。
  • 犀川を境界とした武田氏と長尾氏の境界策定。

との事。

🤡「けっこう武田が譲歩する内容

感じるな」

武田の方が、

早く和睦したかったんだろうね😅

🤡「早く東美濃や三河に、

目を向けたかったのか!」

そういう事だと思います!

というわけで、

晴信と景虎の長期のにらみ合いで、

両軍とも士気が低下!

そこで東美濃や三河の情勢悪化に手を焼いて、

晴信の助けが欲しい今川義元が仲裁!

しかし、ここで晴信の嫡男・義信が口を出し、

親子の仲が悪くなった?

和睦が条件を飲めない晴信が渋り、

調整に時間がかかったものの、

景虎優位の条件で和睦が成立!

第二次川中島の戦い・まとめ

  • 善光寺が欲しい武田晴信が善光寺の別当・栗田永寿を調略。それに危機を感じた長尾景虎が栗田を攻め、栗田は旭山城に籠城し晴信に助けを求める。晴信はこれに援軍を送った。
  • 犀川で対峙した武田・長尾の両軍。景虎が葛山城を築いた事で戦線は膠着し、両軍は200日ほど睨み合う状態に。
  • 東美濃・三河情勢が危なくなった今川義元が両者の仲介で和睦を取り持った。晴信が渋って調整が難航したけど、景虎優位の条件で和睦が成立。

🤡「これ、

義元が困ってたから、

晴信は義元から何かお礼を、

もらえたりしたの?」

いや和睦を仲介したから、

プラマイゼロでしょ😅

第二次川中島の戦いについて、

より詳しい事は、

「図説武田信玄」に書いてます!

🤡「分かりやすくて面白いです!

読んでみてください!」

武田氏関連については、

いろいろ記事を書いてます!

🤡「読んでみてください!」

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!