【飢饉・洪水と戦った?】岡山藩4代目藩主・池田綱政は何をした人?

2022年2月25日

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こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

こないだ、

こういう本を読んだんだよ。

🤡「えーと、

池田綱政?

(いけだつなまさ)

岡山では有名な、

池田光政さんの息子だよね」

そう。

僕らの住む岡山の、

岡山藩4代目藩主だ。

🤡「この綱政さん、

何をした人なの?」

じゃあ、

上の本の感想程度に簡単に

池田綱政は

何をした人?

という事を説明しますね!

岡山県民・岡山市民には、

ぜひ読んで欲しいです!

飢饉や洪水と、それによる財政危機に対応した?

まず倉地克直さんの「池田綱政」を読んで、

思ったのが、

大半が飢饉や洪水などの災害への対応と、

それによる財政のやりくりについて、

語られている。

🤡「飢饉?

洪水?

大変だったんだな」

そう。

飢饉で大量に餓死者が出たり、

たくさんの家が流されたり、

それを助けるため、

藩の米を出したり、

食べる物がなくて困った人を、

救済してたみたい。

🤡「優しい藩主だったんだね」

父・光政さんの教えを、

受け継いでたみたいだね。

そして津田永忠が社倉米を運用して、

藩の財政をどうにかやり繰りしてたみたい。

🤡「社倉米って、

どういう仕組み?」

それが難しい話で、

よく分からなかった😅

🤡「マジか〜」

社倉米について、

詳しく知りたい人は、

倉知克直さんの本「池田綱政」を、

読んでみてください!

というわけで、

池田綱政が藩主の時期、

飢饉や洪水に悩まされた。

綱政は飢えた人々を救済し、

津田永忠の社倉米など、

財政をやり繰りしようとした。

岡山市民に親しみ深い施設を作った?

岡山市民・岡山県民にとって、

身近に感じる物が作られたのも、

綱政の時なんだよ。

🤡「身近に感じる物?」

百間川と、

後楽園だよ。

百間川・岡山市中区

🤡「百間川は君も良く通ってるよね。

やはり洪水対策で作られたのかな?」

百間川せせらぎ公園。旭川と百間川が分かれる所で、白い部分の堤を越えると水が百間川に流れる。

そうだと思う。

そして、

百間川を作った事で、

旭川の洪水が軽減され、

岡山城下を流れる旭川のほとりに、

後楽園が作られたみたい。

🤡「なるほど。

順番が分かりやすい」

ちなみに、

もう1つ今度は岡山市東区民に、

親しみ深い事なんだけど、

西大寺の南の辺りを新田開発して、

その堤や水路を作る、

土木工事がうまくいったから、

それを百間川の堤を作るのに、

活かしたっぽい。

🤡「東区南部の平地が干拓されて、

田んぼになったのも、

綱政さんの時代なのか〜」

そして、

後楽園がなぜ作られたか?

なんだけど、

この時代、

大名庭園を作るのは、

全国の大名たちの間で、

流行ってたらしいね。

🤡「それで綱政さんも、

大名庭園を作りたくなったってわけ?」

そうだね。

でも最初は、

田んぼの中に家が一個ある程度の、

庭園だったらしいけどね。

🤡「流石に財政がヤバい状況で、

派手な庭園は作れなかったか」

ただ後楽園が今の広さになったのは、

綱政さんの時期だったらしいけどね。

🤡「綱政さんの時期には、

今の広さだったのか〜!」

そして百間川も後楽園も、

綱政さんが津田永忠に命じて

作らせたものらしいです!

🤡「津田永忠は岡南大橋に、

像があったよね〜」

写真が欲しいな😅

貼りたかった😅

というわけで、

池田綱政さんの時、

津田永忠に命じて、

百間川や後楽園が作られました。

岡山藩主・池田綱政がやった事まとめ

  • 綱政の治世の大半で飢饉や洪水が起き、貧民救済とそれによる財政の悪化に奮闘した。
  • 津田永忠に命じて、百間川や後楽園を作らせた。

🤡「ところで後楽園の写真はないの?

貼れば分かりやすいのに」

岡山市民だけど、

後楽園の有料部分に、

入ったことがなくて😅

🤡「それは岡山市民あるあるかも」

あと池田綱政さんは、

子供が70人いたことでも知られています。

🤡「すごいな!」

この記事は、

ほぼ倉知克直さんの本、

「池田綱政」の感想なので、

池田綱政さんについて詳しく知りたい人は、

上の本を読んでみてください!

綱政さんの父・光政さんの本や、

作者の倉知克直さんの本についても、

感想記事を書いてます!

🤡「特に岡山市民の方!

読んでみてください!」

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

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