【平山優「真田信繁」感想】大坂冬の陣は豊臣家を滅亡させるのが目的じゃなかった?信繁が「幸村」と呼ばれてるのは、なぜ?

2021年2月10日

こんにちは〜!

カワタツ( @TKkidd_mbht )です!

今日は歴史の本のレビューです!

「武田氏滅亡」の流れで、

平山優さんの著書を読みました。

「真田信繁 

幸村と呼ばれた男の真実」

という本をレビューします。

平山優さんは、

大河ドラマ真田丸」の

歴史考証を担当していた人。

この本の内容は、

真田丸に落とし込まれていたため、

途中まで大体知ってた話でしたね〜。

300ページ位のこの本、

半分位で関ヶ原以降に到達します。

つまり、

信繁の九度山以降の生活を

詳しく調べた本

という事になります。

大坂冬の陣は徳川方の負けだった?

1つ気になったのが、

大坂冬の陣は実は

徳川方の負けだった

という事。

とりあえず当時、

日本に来てた外国人にはそう見えた。

外国人がそう書いた書類も、

残ってて、この本に載ってます。

具体的には、どういう事かというと、

大坂冬の陣の和平交渉は、

真田丸を攻めあぐねた、

徳川方から持ち込まれた。

真田丸をなかなか落とせない上に、

諸大名も戦争に乗り気じゃない。

しかも兵糧が足りなくなり、

厭戦気分が出てきた。

家康は諸大名をまとめる力を失うのが

怖かった。

というわけで交渉を持ちかけ、

ひとまずの停戦で合意。

大坂城の堀を埋めたのは、

浪人たちを無下には扱えない豊臣方が、

「堀を埋めて城を無防備にすれば、

浪人たちも出て行くだろう」

と思ったかららしいです。

ところが浪人たちは出て行くどころか、

冬の陣での大阪方の戦いぶりを見て、

むしろ増えたらしいです(笑)

大坂の陣は豊臣家を滅亡させるのが目的じゃない?

あと、家康にとって大坂の陣は、

豊臣家と豊臣秀頼を、

滅亡させるために始めた戦

ではない🙅‍♀️

そうです。

実際は、

秀頼に国替えを

させるのが目的

だったみたいですね。

「秀頼が国替えに応じなければ、

やむなく開戦する」

位の腹積もりだったみたいです。

しかし、

冬の陣が終わった後、

大坂方の浪人たちは、

大坂城を去らないどころか、

秀頼の言うことを聞かず、

秀頼を担ぎ上げて開戦に

持ち込んでしまった。

秀頼も、家康も

「戦をしないと

いけないのかあ〜〜😅」

秀頼「死んでしまう」

家康「めんどくさ〜」

という気持ちだったのかもしれませんね。

真田「幸村」は歌舞伎用の名前?真田「信繁」が正しい?

他にも、信繁が「真田丸」で、

徳川方の兵に向かって、

「徳川に男はおらんのかあ〜!」

と叫んだのは史実だったことが

分かりテンション上がりました。

真田幸村」の名前は、

江戸幕府が盤石になった後も、

信繁の武名は大坂の陣の後から

庶民の間に広まった。

歌舞伎などで演じられ、

幕府の目を気にして、

「信繁」の実名は使えないため、

「幸村」という偽名を使った。

大石内蔵助が「大星由良助」と

名前を変えて演じられたのと同じこと。

まとめ

  • 大坂冬の陣は実質的に徳川方の負け
  • 大坂の陣は秀頼に、滅亡ではなく国替えを迫るための戦いだった。しかし大坂城に浪人が集まり過ぎ、浪人が秀頼を担ぎ上げたため、戦争せざるを得なくなった。
  • 江戸幕府が成立してからも信繁は人気。歌舞伎などで信繁の名が使われていたが、「信繁」の名前を使うと幕府に目を付けられるため「幸村」と偽名を使って広まった

後半から面白い事実が

たくさん出てきて面白かったです!

それでは、今日はこの辺で失礼します!