【真田信繁と幸村の違いは?】秀頼も家康も大坂の陣はやりたくなかった?平山優「真田信繁」感想

2021年7月17日

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こんにちは〜!

カワタツ( @TKkidd_mbht )です!

皆さん、

真田幸村はご存知ですよね?

そう、2016年の大河ドラマ、

「真田丸」の主人公であり、

「大坂の陣で徳川家康に、

単騎で突っ込んでいった」

など勇ましく、

なおかつ悲劇の武将として、

有名ですよね!

では皆さん、

真田信繁

という武将はご存知?

え?

知らない?

いや知らないはずないですよ!

だって、

真田信繁は、

真田幸村の本当の名前

なんだから!

「え?

どういう事?」

って?

分かりました。

真田幸村についての本を読んだので、

幸村と信繁の違いについても、

説明しましょう!

というわけで、この記事では、

平山優さんの

「真田信繁

幸村と呼ばれた男の真実」

という本をレビューします!

「真田信繁 

幸村と呼ばれた男の真実」

という本をレビューします。

平山優さんは、

大河ドラマ「真田丸」の

歴史考証を担当していた人でもあります。

真田に関してのスペシャリストが、

書いた本というわけですね!

平山優さんの本では、

「武田氏滅亡」も面白いですよ!

真田「幸村」と「信繁」の違いは?

さて、まずは早速、

真田幸村と信繁の違いについて、

説明しましょう。

幸村=信繁なのは、

先程少し説明しましたが、

「真田信繁」が本当の名前。

では「幸村」とは何なのか?

それは、

真田信繁という名前を、

使ってはいけないため、

「幸村」という偽名が使われた。

という事。

え?

「なぜ真田信繁という名前を、

使ってはいけないの?」

って?

そりゃあ真田信繁(幸村)は、

江戸幕府に対して反乱を起こした、

大阪方に加担し、

家康に槍を向けた。

これは江戸幕府の敵ですよね😅

さて、そろそろ「幸村」の偽名が、

どこで使われたのか、

説明しますと、

真田信繁の武名は、

江戸幕府が磐石になった後も、

大坂の陣の後から庶民に広まった。

歌舞伎などで、

真田信繁の話が演じられましたが、

幕府の目を気にして、

「信繁」の実名は使えないため、

「幸村」という偽名を使った。

そこから本名の「真田信繁」より、

偽名の「真田幸村」の方が、

有名になったわけですね。

ちなみに忠臣蔵の大石内蔵助も、

幕府を憚って「大星由良助」と

名前を変えて演じられたそうです。

ともかく真田信繁=真田幸村

という事、分かって頂けました?

大坂冬の陣は徳川方の負けだった?

さて幸村=信繁を説明した所で、

この本で面白かった所を、

少し上げていきます。

全部上げたら、

本を読んでくれないですよね?😅

まず1つは、

大坂冬の陣は実は、

徳川方の負けだった。

という事。

とりあえず当時、

日本に来てた外国人には、

大坂冬の陣は、

徳川方の負けに見えたそうです。

外国人がそう書いた書類が、

この本「真田信繁」に載っています。

具体的には、どういう事かというと、

大坂冬の陣の和平交渉は、

徳川方から持ち込まれた。

真田信繁が大坂城に築いた付け城、

真田丸がとても強固。

そのため真田丸をなかなか落とせない。

そして動員した諸大名も、

戦争に乗り気じゃない。

諸大名からすれば、

自腹で軍資金を出して、

国から大軍勢を率いて、

来ているわけですからね。

関ヶ原の戦いからしばらく経って、

新しく得た領地の政治に、

専念したかったのに、

大坂まで来ざるを得なかった大名も、

多いでしょう。

しかも兵糧が足りなくなり、

厭戦気分が出てきた😅

みんな戦うのが、

嫌になってきてるわけですね。

こんな状況で、

家康は諸大名をまとめる力を失うのが

怖かった。

というわけで大坂方に交渉を持ちかけ、

ひとまずの停戦で合意。

大坂城の堀を埋めたのは、

浪人たちを無下には扱えない豊臣方が、

「堀を埋めて城を無防備にすれば、

浪人たちも出て行くだろう」

と思ったかららしいです。

家康の策略じゃないんですね!

ところが浪人たちは出て行くどころか、

冬の陣での大阪方の戦いぶりを見て、

むしろ増えたらしいです(笑)

秀頼も家康も大坂夏の陣をやりたくなかった?

あと、もう1つ面白かった事。

家康にとっての大坂の陣は、

豊臣家と豊臣秀頼を、

滅亡させるために始めた戦

ではない🙅‍♀️

そうです。

実際は、

豊臣秀頼に国替えをさせるのが目的

だったみたいですね。

「秀頼が国替えに応じなければ、

やむなく開戦する」

位の腹積もりだったみたいです。

しかし、

冬の陣が終わった後、

大坂方の浪人たちは、

大坂城を去らないどころか、

秀頼の言うことを聞かず、

秀頼を担ぎ上げて開戦に

持ち込んでしまった。

「真田殿が頑張って、

家康軍を撃退してくれた。

それにビビって、

家康も停戦を申し入れてきた。

これ、勝てんじゃね?」

とか思ったんでしょうかね〜?😅

秀頼も、家康も

「戦をしないと

いけないのかあ〜〜😅」

秀頼「死んでしまう」

家康「めんどくさ〜」

という気持ちだったのかもしれませんね。

あまり真田信繁は関係ないですが、

大坂の陣で面白かった所でした。

まあ信繁に関しては、

本を読んでくださいね!

まとめ

  • 真田信繁の武名は信繁が死んでも歌舞伎などで演じられたが、信繁は江戸幕府の敵。名前を変えて真田幸村として演じられる様になり、以後そっちの方が有名になった。
  • 大坂冬の陣は真田信繁の作った真田丸で真田軍が奮闘して停戦に持ち込んだ。実質的に徳川方の負けだった
  • 大坂の陣は秀頼に、滅亡ではなく国替えを迫るための戦いだった。しかし大坂城に浪人が集まり過ぎ、浪人が秀頼を担ぎ上げたため、戦争せざるを得なくなった。

感想

この本「真田信繁」、

後半から面白い事実が

たくさん出てきて面白かったです!

他にも、信繁が「真田丸」で、

徳川方の兵に向かって、

「徳川に男はおらんのかあ〜!」

と叫んだのは史実だったことが

分かりテンション上がりました。

それでは、今日はこの辺で失礼します!

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

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