【「蘇我氏 古代豪族の興亡」感想】蘇我入鹿と中大兄皇子のイメージが逆転した?

2021年2月10日

こんにちは〜!

カワタツ( @TKkidd_mbht )です!

今日は、

有名な古代の豪族

について書かれた本のレビューです。

以前、荒山徹さんの「白村江」

を読んだ時、

蘇我入鹿がカッコ良く、

描かれてる

のが気になり、

蘇我氏の本を読んでみました。

「蘇我氏

ー古代豪族の興亡」

という本。

蘇我氏の成立から、

稲目、馬子、蝦夷、入鹿に、

入鹿が暗殺された後の事まで、

書いてあります。

この記事では、

「蘇我氏 古代豪族の興亡」の感想を、

書いていきます。

歴史の教科書で学んだ、

蘇我入鹿や中大兄皇子のイメージが、

覆りました!

古代史也飛鳥時代に興味のある人、

読んでみてください!

蘇我入鹿は実は悪役じゃない?

この本の真ん中辺りで、

気になった箇所があります。

推古天皇期(厩戸皇子(聖徳太子)の時)、

政治が中途半端だったのを隠すため、

蘇我氏を悪役にする必要があった。

蘇我氏 古代豪族の興亡

日本書紀は、

天皇の事を書いた物だから、

天皇の事を良く書かなければならない。

だから聖徳太子の時代の、

中途半端な政治は、

蘇我氏のせいにされて

しまったわけですね。

さらに、

共に唐の最新統治技術を学んでいた、

蘇我入鹿と葛城皇子(中大兄皇子)、

それに中臣鎌足は、

どちらが主導権を握って、

国際社会に乗り出すかで、

抜き差しならない対立関係に、

踏み込んでしまったのである。

蘇我氏 古代豪族の興亡

入鹿と中大兄皇子

進む方向は一緒だった。

ただやり方が違った。

どっちが舵を握るか?

ということだけで対立してしまった。

大宝律令という、

日本という国家が形成された出来事で、

蘇我氏は悪役にされなければ、

ならなかった。

蘇我氏 古代豪族の興亡

天皇を正当化するために、

蘇我氏が悪役にされたんですね。

大宝律令を制定した天武天皇は、

蘇我系の天皇で、

中大兄皇子と対立していたため、

大化の改新の頃には、

名前が出てこなかったという話も、

聞いたことがあります。

入鹿が政治の主導権を握っても立派な国家ができた?

このまま入鹿が政権を維持し続け、

その主導で完成するかもしれなかった、

日本古代国家や天皇制が、

いかがなものであったか、

想像すると興味は尽きないところである。

ともあります。

「入鹿が専横政治はした」

と言われますが、

それは日本書紀に悪く書かれただけの事。

例え専横だったとしても、

倭国を良い方向へ持って行く、

政治力とビジョンがあった。

中大兄皇子をではなく、

入鹿が政権を持ってても、

立派な国家ができでしょう。

入鹿と中大兄皇子のイメージが逆転?

荒山徹さんの「白村江」から、

「蘇我氏 古代豪族の興亡」を読んで、

歴史の教科書で学んだ、

蘇我入鹿と中大兄皇子の印象が

逆転してしまいました😅

入鹿は悪いやつじゃない。

そして、

中大兄皇子は、

正義のヒーローの様な存在ではなく、

狡猾でズル賢い印象に変わりました😅

蘇我氏はこの後も続いて行く?

あと、この本には、

さらに「蘇我氏 古代豪族の興亡」には、

蘇我氏の嫡流は

途絶えてしまったけど、

稲目や馬子の代で別れた他の流れの家は、

官職は徐々に下がっていくものの、

後の時代まで続いた

蘇我氏 古代豪族の興亡

ということも書いてあります。

土佐の長宗我部元親などが出た、

長宗我部家は、

間の「宗我」が「蘇我」だった。

という話もどこかでありました。

藤原氏が蘇我氏に取って代わった?

蘇我氏は天皇に自分たちの娘を嫁がせ、

外祖父になり政治の実権を得ました。

平安時代になり、

それを藤原氏にとって代わられた。

藤原氏の祖は中臣(藤原)鎌足だから、

入鹿から鎌足に変わっただけ。

蘇我氏のやってた事を、

藤原氏が奪い取っただけです。

まとめ

  • 日本書紀は天皇を良く書くため、聖徳太子期や乙巳の変で蘇我氏は悪役にされた。
  • 大化の改新でこのまま入鹿が政権を握ってても、大宝律令など日本の元になる政治は行われた。
  • 中大兄皇子は狡猾でズル賢い印象に変わった。入鹿とイメージが逆転。
  • 蘇我氏はこのまま続いていく
  • 蘇我氏が藤原氏に変わっただけ

また本の内容を、

書き過ぎちゃいましたかね〜?😅

しかし最近、

歴史の本ばかり読んでて、

なんだか疲れてきました😅

それでは最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

失礼します!