【1次は信雄惨敗?2次は伊賀皆殺し?】忍者は?和田裕弘「天正伊賀の乱」
こんにちは〜!
カワタツ( @TKkidd_mbht )です!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
以前、三重県の伊賀へ行ったのを覚えてる?
🤡「伊賀上野城、
大きくてとても良い城だったよね!
今日は伊賀の話?」
そう、織田信長の時代、
伊賀で大きな戦があったの覚えてる?
🤡「『烈火の炎』でも、
そんな戦いがあったよな!」
そう、
天正伊賀の乱
って言うんだけど。
🤡「今日はその天正伊賀の乱についての、
本を紹介する感じ?」
その通り!

和田裕弘(やすひろ)さんの
「天正伊賀の乱」
を紹介します!
🤡「タイトルそのまま系の本」
この記事では、
天正伊賀の乱について、
わかりやすく簡単に説明します!
そして天正伊賀の乱について、
より詳しい事を知りたくなったら、
本を読んでみてください!
目次
天正伊賀の乱とは?
🤡「天正伊賀の乱って、
どんな戦いなの?
今の所、
三重県伊賀市で起こった戦いとしか、
分かってないね」
天正伊賀の乱は全部で3回あったんだ。
まず1回目、
天正7年(1579年)、
織田信長の次男で、
北畠家の家督を継いでいた、
信雄(のぶかつ)が、
父信長に無断で伊賀国へ侵攻したものの、
忍びの者の反攻にあって敗退した。
これを第一次天正伊賀の乱と表記する。
和田裕弘「天正伊賀の乱」
🤡「織田信雄って、
小牧・長久手の戦いで、
徳川家康を頼って、
秀吉と戦う人だよね」
そう、この戦いが酷い負け方で、
信長にめちゃめちゃ怒られた書状を、
もらってたみたい😅
🤡「ありゃりゃ。
しかし伊賀だから、
やっぱり忍者が出てくるんだね!」
実際の忍者が、
具体的にどんな働きをしたのか、
和田裕弘さんの「天正伊賀の乱」でも、
書いてあるよ!
忍者については、
この「戦国の忍び」もオススメです!
🤡「ところで第2次の天正伊賀の乱は、
どんな戦いだったの?」
第1次の戦いから2年後、
織田信長は信雄を総大将にして、
伊勢や近江、大和など、
四方から大軍を伊賀に乱入させ、
さしもの忍びの者もなす術なく、
伊賀国内の城郭や神社仏閣が破壊、
焼き尽くされ、伊賀国は焦土と化した。
和田裕弘「天正伊賀の乱」
この時、伊賀国は皆殺しだったらしい😨
女・子供まで。
🤡「恐ろしい!」
🤡「ところで、ここまで伊賀を統治する、
大名の名前が出てこないんだけど?」
伊賀には仁木という大名がいるんだけど、
実際は小さい勢力の豪族とか国人が、
同盟して連携した、
「惣国一揆」が伊賀を支配してた。
🤡「ん?
それは加賀の一向一揆みたいなやつ?」
惣国一揆の説明については、
ややこしいので、
和田裕弘さんの「天正伊賀の乱」を
読んでみてください!😅
🤡「そうきたか!
ところで第3次の天正伊賀の乱は?」
本能寺の変で織田信長が死んで、
混乱に乗じた伊賀の残党が、
乱を起こしたんだよね。
🤡「確かに本能寺の変での混乱は、
乗りやすそうなビッグウェーブ」
結構な混乱を起こしたみたいだけど、
規模は小さかったみたいだね。
🤡「残念だな」
天正伊賀の乱・まとめ
天正伊賀の乱は3回あった。
第1次は天正7年(1579年)、
織田信雄が伊賀に侵攻し惨敗。
第2次は伊勢・近江・大和など、
四方から織田信長が侵攻し、
伊賀衆を皆殺しにした。
第3次は本能寺の変の後の混乱を狙ったもの。
感想
🤡「和田裕弘さんの『天正伊賀の乱』、
読んでどうだった?」
半分くらい読み進めるまで、
天正伊賀の乱の内容にいかないのが、
少ししんどかったけど、
忍者のことについても書いてあったり、
惣国一揆という特殊な組織、
さらに信長が信雄に継承させた、
北畠家についても書いてあって、
面白かったね!
🤡「マジか〜!」
🤡「乱とか忍者とか、
興味があるから、
僕も和田裕弘さんの『天正伊賀の乱』、
読んでみようかな?」
🤡「hontoで近くの丸善や、
ジュンク堂の店舗の、
在庫検索してみようかな〜?」
なかったらhontoで取り寄せて、
店舗で受け取るのもいいね!
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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