【砥石崩れとは?】武田信玄が村上義清に大敗?采配ミス?

2022年7月15日

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こんにちは〜!

こんにちは!

いきなりだけど、

武田信玄

ってカッコいいよね〜!

いろいろな敵と戦って、
勝っていったんだよね!

雑なイメージ😅

そうなんだけど、

信玄が負けた戦い

があるの知ってる?

え!

そんな戦いあるの?

誰に負けたの?

その戦いは、

砥石崩れ

というんだけど。

負けた相手は、

村上義清だよ!

村上義清?
だれ?

上杉謙信と出会う前の、

信玄のライバルとされる武将だね!

今日はそんな、

武田信玄が村上義清に敗れた戦い、

「砥石崩れ」について説明します!

武田信玄が負けた?

と気になってる人!

単純に、

武田信玄に興味がある人!

読んでみてください!

この記事は、

平山優先生の

「図説武田信玄」

という本を、

参考にして書いてます!

砥石城はどんな城?要衝?

砥石崩れ、
どんな経緯で
始まったの?

天文19年(1550年)、

武田晴信(信玄)は、

村上義清攻略を目指し、

小県(ちいさがた)郡の、

砥石城攻撃を考えた。

砥石城は
村上義清の城なんだね!
どんな城なの?

現在の長野県上田市にある城で、

街道の名前どこに行ける道?
松代街道川中島
保科道
(ほしなどう)
善光寺
大笹街道北信濃

の3つの道が交わる場所なんだ。

砥石城は、
交通の要衝ってわけか!
信玄からしたら、
ここを取れれば大きいね!

そう。

そして村上氏の本拠、

坂木(葛尾城・かつらおじょう)

防衛する最前線だった。

村上氏にとっても、
めちゃめちゃ大事な
所だね!

そうなんだよ!

砥石城を晴信に取られれば、

村上氏はかなり厳しい事になるんだよ!

なるほど。
まとめると、

砥石城は3つの道が交わる交通の要衝!

そして村上氏の本拠地・坂木(葛尾城)

を守る最前線!

村上義清にとって、
砥石城は、
取られたらいけない、
大事な場所だったんだね!

晴信、義清不在の砥石城を攻める!しかし?

砥石城と同じ長野県上田市にある上田城

当時、村上義清は北信濃で、

高梨政頼と戦ってた。

晴信は、

その隙に砥石城を奪おうとしたんだ。

ずるい!
でも信玄らしい!

武田軍は屋降

(むねくだり、

現在の上信越自動車道の、

上田・菅平IC東の一帯)

に本陣を据え、

晴信自ら馬を進め敵状を検分、

敵方に開戦を宣言する矢入れを実施した。

いよいよ開戦か!

しかし攻撃開始から10日が経過しても、

砥石城は落城の気配を見せなかった。

砥石城、
なかなか手強い城
なんだね!

晴信は川中島近辺の村上方国衆の、

調略に成功して、

そこから切り崩そうとした。

しかし、

砥石城自体はなかなか落ちなかった。

時間をかけてると、
村上義清が
戻ってきちゃうん
じゃない?

いや、この後、

情勢が一変するんだけど、

晴信にとって、

もっと最悪な状況になるんだ😅

え?
マジで?

とにかく、

晴信は村上義清が北信濃で、

高梨政頼と戦っている間、

砥石城を攻めた。

しかし攻撃開始から10日経っても、

砥石城を落とせない!

すると、

晴信にとって最悪の展開に!

村上義清が追撃!武田晴信、大敗?

晴信にとって
最悪の展開
って何なの?

村上義清が高梨政頼と和睦して、

一緒に寺尾城に攻めてきたんだよ!

うわ!
村上義清だけじゃなく、
高梨政頼も攻めてきたのか!
やっぱり砥石城を
落とせなかったのは、
痛かったな〜!

晴信は真田幸綱と、

勝沼今井信甫(のぶすけ)を派遣。

すると、村上・高梨両軍は撤退した。

え!
撤退したの?
じゃあ最悪の展開とか
までじゃ無いじゃん!

いや最悪なのは、

ここからだよ😅

その後1ヶ月位、

武田軍は砥石城を攻め続けたけど、

とうとう落とす事はできなかった。

え!
さらに1ヶ月かけても、
砥石城を落とせなかったの?
ヤバくない?

そして武田軍は諏訪へ撤退するんだけど、

ここで村上義清が、

激しい追撃戦を挑んできた!💥

え‼️

これで武田軍はたくさんの戦死者を出し、

大敗という事に😅

最後に撤退する時に、
追い討ちされて、
大敗したって事か〜!

というわけで、

晴信が砥石城を攻めあぐねてたら、

村上義清が高梨政頼を連れて

戻ってきました!

それを退けたものの、

その後も砥石城を落とせず、

諏訪へ撤退しようとすると、

村上義清が激しい追撃戦を挑んできました!

そこで武田軍は、

たくさんの戦死者を出し大敗!

たくさんの戦死者が出た?重臣も死んだ?

武田軍は終日追いすがる村上軍と戦い続け、

重臣の横田高松(たかとし)、

郡内衆の小沢式部・渡辺出雲守ら、

1000人余りが戦死、

武器を捨てて逃げ帰ったという。

5000人戦死という話もあるみたい。

これは晴信の
大負けだね!

砥石崩れは上田原合戦と並ぶ、

武田信玄の敗戦として有名なんだけど、

信玄の生涯で

唯一の采配ミス

と呼ばれてるらしい。

義清がいないのをいい事に、
ダラダラと長い間、
砥石城を攻め続けたから
かな?

もっと早く撤退してれば、

こんな大敗にはならなかったのかもね?

(素人が好きに言ってすいません🙇‍♂️)

まあ、
この若い頃の大敗を
教訓にして、
信玄が名将になった
というのも、
あるかもしれないよね!

とにかく、

信玄のミスによる大敗だから、

「砥石崩れ」と呼ばれるらしいよ。

戦いに『崩れ』なんて名前、
あまり付かないもんね。
名将・信玄の失敗だから、
『崩れ』か。

というわけで、

横田高松などの重臣を含む、

1000人(5000人?)以上が戦死!

これは武田信玄には珍しい、

采配ミスによるもので、

「砥石崩れ」と呼ばれました!

まとめ

  • 砥石城は交通の要衝で村上義清の本拠地・葛尾城防衛の最前線。
  • 村上義清がいない間、武田晴信は砥石城を落とそうとするけど、なかなか落とせない。
  • すると村上義清が高梨政頼を連れて戻ってきた!晴信はそれを退けるけど、その後も砥石城を落とせない。諏訪に撤退しようとすると、村上義清が激しい追撃戦を挑んできた!
  • 砥石崩れの武田軍の戦死者は1000人とも5000人とも言われ、重臣の横田高松なども戦死した。

いや〜若い頃とはいえ、
信玄が負けるなんて、
ビックリだよね!

ダラダラ戦って、

こんな負け方するなんて、

ビックリだよね😅

平山優先生の「図説武田信玄」

こんな感じの武田信玄の事が、

絵図付きで分かりやすく説明されてます!

歴史初心者にもオススメ!
もちろん
『砥石崩れ』についても、
この記事より詳しく
書いてありますよ!

ぜひ読んでみてください!

武田信玄について詳しくなれます!

以上です!

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それでは今日はこの辺で失礼します!

さようなら〜!!

最後まで読んでいただいて、

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