【砥石崩れとは?】村上義清との戦い!武田信玄が大敗?采配ミス?

2022年5月18日

広告

こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

いきなりだけど、

武田信玄

ってカッコいいよね〜!

🤡「いろいろな敵と戦って、

勝っていったんだよね!」

そうなんだけど、

信玄が負けた戦い

があるの知ってる?

🤡「え?

そんな戦いあるの?

誰に負けたの?」

その戦いは、

砥石崩れ

というんだけど。

負けた相手は、

村上義清だよ!

🤡「村上義清!

聞いた事ある!

上杉謙信と出会う前の、

信玄のライバルとされる武将だね!」

今日はそんな、

武田信玄が村上義清に敗れた戦い、

「砥石崩れ」について説明します!

武田信玄が負けた?

と気になってる人!

単純に、

武田信玄に興味がある人!

読んでみてください!

この記事は、

平山優先生の「図説武田信玄」

という本を、

参考にして書いてます!

砥石城はどんな城?要衝?

🤡「砥石崩れ、

どんな経緯で始まったの?」

天文19年(1550年)、

武田晴信は、

🤡「この時は、

まだ信玄じゃなくて、

晴信の名前だったんだね」

信玄の若い頃の話だね。

ともかく晴信は、

村上義清攻略を目指し、

小県(ちいさがた)郡の、

砥石城攻撃を考えた。

🤡「砥石城は村上義清の城なんだね。

どんな城なの?」

現在の長野県上田市にある城で、

街道の名前どこに行ける道?
松代街道川中島
保科道
(ほしなどう)
善光寺
大笹街道北信濃

の3つの道が交わる場所なんだ。

🤡「交通の要衝ってわけか。

ここを取れば大きいね」

そう。

そして村上氏の本拠、

坂木(葛尾城・かつらおじょう)

防衛する最前線だった。

🤡「村上氏にとっては、

超大事な所じゃないか!」

そうなんだよ!

砥石城を晴信に取られれば、

村上氏はかなり厳しい事になるんだよ!

🤡「なるほど。

まとめると、

砥石城は3つの道が交わる交通の要衝!

そして村上氏の本拠地・坂木(葛尾城)

を守る最前線!

村上義清にとっては、

取られたらいけない、

大事な場所だったんだね!」

晴信、義清不在の砥石城を攻める!しかし?

当時、村上義清は北信濃で、

高梨政頼と戦ってた。

晴信は、

その隙に砥石城を奪おうとしたんだ。

🤡「ずるい!

でも信玄らしい!」

武田軍は屋降(むねくだり、

現在の上信越自動車道の、

上田・菅平IC東の一帯)に本陣を据え、

晴信自ら馬を進め敵状を検分、

敵方に開戦を宣言する矢入れを実施した。

🤡「いよいよ開戦か」

しかし攻撃開始から10日が経過しても、

砥石城は落城の気配を見せなかった。

🤡「なかなか手強い城なんだな」

晴信は川中島近辺の村上方国衆の、

調略に成功して、

そこから切り崩そうとしたんだけど、

砥石城自体はなかなか落ちなかった。

🤡「時間をかけてると、

村上義清が戻って来ちゃうんじゃない?」

いや、この後、

情勢が一変するんだけど、

晴信にとって、

もっと最悪な状況になるんだ😅

🤡「え?

マジで?」

とにかく、

晴信は村上義清が北信濃で、

高梨政頼と戦っている間、

砥石城を攻めた。

しかし攻撃開始から10日経っても、

砥石城を落とせない!

すると、

晴信にとって最悪の展開に!

村上義清が追撃!武田晴信、大敗?

🤡「晴信にとって最悪の展開

って何なの?」

村上義清が高梨政頼と和睦して、

一緒に寺尾城に攻めてきたんだよ!

🤡「うわ!

やっぱり砥石城を落とせないのは、

痛かったな!」

晴信は真田幸綱と、

勝沼今井信甫(のぶすけ)を派遣。

すると、村上・高梨両軍は撤退した。

🤡「あ、撤退したの?

じゃあ最悪とかまでじゃ無いじゃん」

いや最悪なのは、ここからだよ😅

その後1ヶ月位、

武田軍は砥石城を攻め続けたけど、

とうとう落とす事はできなかった。

🤡「ほう」

そして武田軍は諏訪へ撤退するんだけど、

ここで村上義清が、

激しい追撃戦を挑んできた!💥

🤡「え‼️」

これで武田軍はたくさんの戦死者を出し、

大敗という事に😅

というわけで、

晴信が砥石城を攻めあぐねてたら、

村上義清が高梨政頼を連れて戻ってきました!

それを退けたものの、

その後も砥石城を落とせず、

諏訪へ撤退しようとすると、

村上義清が激しい追撃戦を挑んできました!

そこで武田軍は、

たくさんの戦死者を出し大敗!

たくさんの戦死者が出た?重臣も死んだ?

武田軍は終日追いすがる村上軍と戦い続け、

重臣の横田高松(たかとし)、

郡内衆の小沢式部・渡辺出雲守ら、

1000人余りが戦死、

武器を捨てて逃げ帰ったという。

5000人戦死という話もあるみたい。

🤡「これは晴信の大負けだ!」

砥石崩れは上田原合戦と並ぶ、

武田信玄の敗戦として有名なんだけど、

信玄の生涯で唯一の采配ミス

と呼ばれてるらしい。

🤡「義清がいないのをいい事に、

長い間砥石城を攻め続けたからかな?」

もっと早く撤退してれば、

こんな大敗にはならなかったのかもね?

(素人が好きに言ってすいません🙇‍♂️)

とにかく、

信玄のミスによる大敗だから、

「砥石崩れ」と呼ばれるらしいよ。

🤡「戦いに『崩れ』なんて名前、

付けないもんね。

名将の失敗だから『崩れ』か」

というわけで、

横田高松などの重臣を含む、

1000人(5000人?)以上が戦死!

これは武田信玄には珍しい、

采配ミスによるもので、

「砥石崩れ」と呼ばれました!

まとめ

  • 砥石城は交通の要衝で村上義清の本拠地・葛尾城防衛の最前線。
  • 村上義清がいない間、武田晴信は砥石城を落とそうとするけど、なかなか落とせない。
  • すると村上義清が高梨政頼を連れて戻ってきた!晴信はそれを退けるけど、その後も砥石城を落とせない。諏訪に撤退しようとすると、村上義清が激しい追撃戦を挑んできた!
  • 砥石崩れの武田軍の戦死者は1000人とも5000人とも言われ、重臣の横田高松なども戦死した。

🤡「いや〜若い頃とはいえ、

信玄が負けるなんて、

ビックリだよね!」

僕としては、

自分でブログにまとめる事で、

よく理解できたね😄

平山優先生の「図説武田信玄」、

こんな感じの武田信玄の事が、

絵図付きで分かりやすく説明されてます!

🤡「歴史初心者にもオススメ!

もちろん『砥石崩れ』についても、

この記事より詳しく書いてありますよ!」

ぜひ読んでみてください!

武田信玄について詳しくなれます!

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

丸善・ジュンク堂の在庫検索もhontoで!