【徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いの時、江戸に帰ったのはなぜ?】○○の敵になりたくなかった?

2022年6月28日

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こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

2021年の大河ドラマ、

「青天を衝け」が面白かったね!

🤡「草彅剛さんの、

徳川慶喜

がとても良かったよね!」

そうだよね!

🤡「しかし気になる事が、

残ってるんだ」

何かな?

鳥羽伏見の戦いで、
徳川慶喜は、
なぜ江戸に
帰ってしまったの?

確かに、

そこは青天では触れられなかったね😅

では、

慶喜が鳥羽伏見の戦いで、

江戸に帰った理由

をこの記事で説明します!

🤡「同じような疑問を持つ人、

読んでみてください!」

この記事は、

家近良樹さんの「徳川慶喜」

という本を参考に、

書いてます!

噛み砕いて説明するので、

少し違う所も出てくるかもしれません!

ご了承ください!

慶喜は京都付近で戦うつもりはなかった?兵力的に不利に?

京都市伏見区・伏見口の戦い激戦地跡の石碑

徳川慶喜は
鳥羽伏見の戦いで、
なぜ江戸に
帰ってしまったの?

家近良樹さんの「徳川慶喜」によると、

定説が確立してるとは言いがたい。

家近良樹「徳川慶喜」P237

らしい😅

🤡「今でもよく分かってない。

ってことか」

ただ、慶喜や関係者が、

全員一致で挙げている理由があるみたい。

①松平春嶽や徳川慶勝を通じて上洛するように

との(天皇からの)「御内諭」を受けたので、

「先供の者」を出発させたところ、

薩摩藩によって差し止められ、

そのうえ薩摩側から砲撃を受けて、

やむなく応戦した。

家近良樹「徳川慶喜」P237

🤡「これは、

慶喜は薩摩と戦う気がなかった

という事?」

いや慶喜は兵庫沖では、

薩摩の軍艦に砲撃してるし、

京都付近では戦う気はなかった。

という感じだと思う。

🤡「なぜ?」

それは理由③で分かると思う。

とにかく、

慶喜は鳥羽伏見の戦いで、

つまりは京都付近で

戦うつもりはなかったため、

「先供の者」に十分な兵数を与えてなかった。

それで戦いで不利になり、

戦いの後、

軍艦で江戸に逃げ帰るハメになった。

という事だと思う。

🤡「なるほど。

兵力差で不利になって逃げた。

と単純に言う事もできるな」

自分には戦う意思がない事を示すため?

京都市伏見区の御香宮神社。鳥羽伏見の戦いで薩摩軍の屯所になった。

慶喜が大坂から江戸に「逃げた」

理由2つ目は、

②これは自分にとって「意外の次第」で、

まったく「先供の者」が、

一時の間違いで起こした「争闘」

家近良樹「徳川慶喜」P237

理由①とも繋がるんだけど、

鳥羽伏見の戦いは、

先発隊が間違って起こした戦い

と朝廷にも弁明したらしい。

🤡「たしか鳥羽伏見の戦いは、

幕府軍が薩摩の挑発を受けて、

開戦したんだっけ」

たしかそうだったはず。

という事は慶喜は、

自分自身は戦う気がない事を示すために、

大坂から江戸へ帰った。

という事になるのかな。

🤡「大将が逃げたら、

兵は戦う意味がないもんな。

かわいそうだけど」

つまり、

鳥羽伏見の戦いは、

先発隊が勝手に起こした。

自分には戦う意思がない事を示すために、

慶喜は大坂から江戸へ戻った。

天皇・朝廷の敵ではない事を示すため?

淀城跡。鳥羽伏見の戦いで淀藩は旧幕軍の入場を拒絶し薩摩郡に寝返った。

しかし、
「慶喜には京都付近で
戦うつもりはなかった」
って、どういう事?

それが理由③に繋がるんだけど、

大坂城を待機したのは、

自分が「朝敵」でないことを表すため

家近良樹「徳川慶喜」P237

コレが一番大きな理由だと思う。

慶喜は天皇・朝廷の敵に、

なりたくなかったんだよ。

🤡「そうなの?」

慶喜は将軍になる前から、

京都で朝廷や諸大名との外交を担当してて、

孝明天皇とも親しかったみたいだしね」

🤡「慶喜の政治の基盤は、

京都にあったって事か」

そう。

江戸に帰る事はなかったみたいだし😅

とにかく、

慶喜は天皇・朝廷の敵に、

なりたくなかったから、

敵ではない事を示すため、

大坂を退去して江戸へ向かった。

徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで大坂から江戸へ戻った理由まとめ

  1. 慶喜は京都付近で戦うつもりはなかったため、「先供の者」に十分な兵を与えてなかった。それが兵力差になり不利になって逃げるハメになった。
  2. 鳥羽伏見の戦いは「先供の者」が勝手に起こした。自分には戦うつもりがない事を示すため、大坂から江戸へ戻った。
  3. 慶喜は天皇・朝廷と親しく、天皇・朝廷の敵ではない事を示すため、大坂を退去した。

まあ、こういう理由があるものの、

将軍職を辞していたとはいえ、

部下をいわば見殺しにしたことは、

一軍の将たる立場にある者としては、

許される行為ではなかった。

家近良樹「徳川慶喜」P238

とも書いてあったね😅

🤡「『慶喜が逃げた』

という事実を覆すような理由じゃ、

なかったね」

そうだね〜。

そこの所は残念。

徳川慶喜については、

こんな記事も書いてます!

🤡「こちらも家近良樹さんの本を、

参考にしてます!

興味があれば、

読んでみてください!」

徳川慶喜について、

もっと詳しく知りたい人は、

僕のブログよりも、

この本を読んでみてくださいね!

🤡「『青天を衝け』では、

分からなかった事が、

たくさん書いてあります!」

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!