【趣味に生きた?子だくさん?どこに住んだ?】徳川慶喜の余生は?

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こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

2021年の大河ドラマ、

「青天を衝け」が面白かったね!

🤡「草彅剛さんの、

徳川慶喜

がとても良かったよね!」

そうだよね!

🤡「しかし、

戊辰戦争から後の徳川慶喜

を見てると寂しそうだったなあ」

徳川慶喜、

これほど前半生と後半生が、

かけ離れた人生を送った人物は、

そうざらにはいないだろう

家近良樹「徳川慶喜」P291

なんて言われてるね。

🤡「徳川慶喜の後半生というか余生、

どんな感じだったの?」

では、

家近良樹さんの「徳川慶喜」

という本を参考に、

簡単に説明します!

慶喜はどこに住んだ?

多趣味・子だくさん?

という事を取り上げてます!

慶喜はどこに住んだ?

徳川慶喜、
余生はどこに住んだの?

鳥羽伏見の戦いで慶喜が大坂を退去して、

江戸に戻った後、

慶喜は上野の寛永寺で自ら謹慎した。

🤡「新政府に抵抗するつもりはない事を、

示すつもりなんだよね」

そして新政府により、

水戸に引っ越しさせられた後、

さらに静岡へ引っ越し。

🤡「転々としたんだな」

新政府の(ほぼ)命令なんだが、

徳川家の菩提寺であった

常磐町の宝台院にとりあえず居をかまえ、

以後30年近くにわたって、

静岡で隠居生活を送ることになる。

家近良樹「徳川慶喜」P252

🤡「徳川家ゆかりの静岡とはいえ、

30年も江戸に戻ることはなかったのか」

そう。

そして、その後、

明治30年(1897年)、

慶喜は東京に移り住んだ。

東京・皇居の二重橋

🤡「30年待たないと、

行けなかった理由は何なの?」

この頃になると、

明治政府の体制が固まって、

慶喜ら旧幕府の人が、

明治政府に反逆する可能性もなくなった。

さらに大久保利通とか、

西郷隆盛とか木戸孝允とか、

慶喜を嫌ってた政治家も、

亡くなってたからね。

🤡「もう慶喜が、

明治政府に敵対することはないし、

慶喜を嫌ってた大物も、

いないから江戸に帰っても🆗!

という雰囲気だったのかな」

そうだね。

というわけで、

徳川慶喜は余生の30年間を静岡で過ごし、

かなり後になって東京に戻りました。

趣味に生きた?

🤡「『青天を衝け』で、

慶喜が絵を描いてるシーンがあったよね」

そう。

隠居後の慶喜は、

趣味に打ち込んだらしい。

🤡「趣味?

どんな?」

銃猟・鷹狩り・囲碁・投網・鵜飼

・謡(うたい)・能・小鼓・洋画

・刺繍・将棋・ウナギ釣り・湯治

・花見・釣り・書道・弓・ビリヤード

・写真撮影・レコード・コーヒー

・自転車

家近良樹「徳川慶喜」

など。

🤡「趣味が多いな〜!

しかもビリヤードとかレコードとか、

明治時代にもあったんだな!」

家近良樹さんの「徳川慶喜」から、

趣味らしい物を、

ひたすら取り上げてみました。

慶喜は新しい物が好きで、

人力車や自転車、電話、

蓄音機、自動車などが登場すると、

積極的に買って利用してたみたいだね。

🤡「隠居してるのに、

そんなにお金あるのかよ!

とかつい思っちゃうなあ」

そんなわけで、

徳川慶喜は余生を趣味に過ごしました!

新しい物を取り入れるのに積極的だった!

子だくさん?

あと、もう1つ、

慶喜が余生で積極的だった事があるんだ。

🤡「なに?」

子作り😅

🤡「は?」

ちょっと品のない言い方を、

したかもしれませんが、

慶喜は側室だった2人の女性との間に

十男十一女をもうけた。

家近良樹「徳川慶喜」P262

らしいです😅

🤡「十男十一女!

すごいな!」

21人の子だくさんだったみたいです!

徳川慶喜の余生まとめ

  • 静岡に30年住み、その後東京に住んだ。
  • たくさんの趣味を楽しみ、新しい物を好んだ。
  • 子だくさんで十男十一女をもうけた。

こんな感じで、

僕が慶喜の後半生で、

気になった部分を取り上げてみました!

🤡「慶喜の後半生について、

さらに詳しく知りたい人は、

家近良樹さんの「徳川慶喜」を、

読んでみてください!

徳川慶喜については、

他にも記事を書いてます!

🤡「興味があれば、

読んでみてください!」

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!