【25歳で処刑された?】「逃げ上手の若君」の北条時行の最後は?

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こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

漫画「逃げ上手の若君」のおかげで、

主人公の、

北条時行

(ほうじょうときゆき)

の名前が、

有名になってるね。

🤡「それについて、

疑問があるんだけど」

なに?

🤡「北条時行って、

室町幕府に対して、

反乱(中先代の乱)を起こしたんでしょ?

まともに生き延びれたとは、

思えないんだけど。

悲しい最後

になっちゃったんじゃないの?」

結構みんな思ってる事かも、

しれないよね😅

では今日は、

北条時行の最後

について説明します!

この記事は、

鈴木由美さんの本

「中先代の乱」を引用して説明します!

北条時行の最後は?

🤡「北条時行の最後、

どんな感じだったの?」

鈴木由美「中先代の乱」の、

第6章「南朝での活動」

の「龍口での死」の所で、

正平7年閏2月23日に、

新田義興と共に鎌倉を出た後の、

北条時行の動向は知れないが、

翌正平8年(文和2年、1353年)5月、

時行は罪人として姿を現す。

「中先代の乱177ページ」

🤡「時行は室町幕府側(北朝)に、

捕まっちゃったんだね」

そう。

南朝についた時行は、

新田義興と共に、

鎌倉を奪還するんだけど、

その後鎌倉を出て、

新田義興と別れてから、

行方が知れないらしい。

🤡「その後、

罪人として現れるって事は、

時行はそこで室町幕府側に、

捕まっちゃったのか!」

そういう事だろうね。

そして、

正平8年(文和2年、1353年)

5月20日には、

時行と長崎駿河四郎・工藤次郎が、

鎌倉郊外の刑場・龍口(たつのくち、

神奈川県藤沢市)で、

処刑されているからである。

「中先代の乱」178ページ

🤡「あ〜、

やっぱり処刑されちゃうのか!」

享年25歳だったらしいよ。

🤡「若い!

若くして処刑されるなんて、

辛いよ!」

そうだよね。

ともかく、

北条時行の最後は1353年5月20日。

鎌倉郊外の龍口で、

処刑されます!

まとめ

  • 北条時行の最後(最期)は1353年5月20日。鎌倉郊外の龍口で処刑される。
  • 武蔵野合戦で鎌倉を占領した後、鎌倉を出て新田義興と別行動。その後、室町幕府側に捕まったっぽい。

🤡「『逃げ上手の若君』では、

時行が処刑される所まで、

描かれるんだろうか?」

気になるよね。

「麒麟がくる」では、

明智光秀が負けて死ぬ、

山崎の戦いを描かなかったよね。

🤡「主人公・北条時行に感情移入したら、

読者は時行の最後なんて、

見たくないよね」

そうだよね〜。

僕も見たくない。

それに25歳の若者が、

処刑されるのは辛いね😅

🤡「ホントそれ!」

まあ、それまで「逃げ上手の若君」を、

楽しんで読んでください!

僕もやりましたが、

鈴木由美さんの「中先代の乱」を読んで、

「逃げ上手の若君」の、

史実を知るのもオススメですよ!

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!